2008年09月11日

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成20年9月11日(木曜日)




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東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科

山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成20年9月11日(木曜日)






ことしもずっと前に。
ひなまつりがおわり。

春分の日もはるかまえ。
「さくら咲き」
「4月」が終わりました。
「5月」になりました。
「5月」もおわりました。
6月に。「夏」になりました。
6月も終わりました。
7月 たなばた もおわり。
7月もおわりました。
8月もおわりました。夏はすぎました。
9月の秋まです。



「秋」になりました。
「9月」の11日目です。
昨日深夜早朝に久方ぶりに「星空」が
みえました。
「十五夜は9月14日」ですが
「月」はまだ半月くらいでした。
朝日を背に西のコバルトの空高くの。
高い成層圏近くの高度に。
「刷毛でひいたように」「絹雲(けんうん)」が
一筆みえました。


はやいものです。
ときのたつのは。
はやいものです。

そしてふと考えれば
今年も「8ヶ月」はすっかり
終わりました。



毎朝暗い早朝と暗くなる午後4時ころに
「こおろぎ」がないています
「こおろぎ」のほかの。
「秋の虫」も
鳴き声はきこえているようです。
「秋の虫たち」がないています。


秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

あききぬとめにはさやかにみえねども
かぜのおとにぞおどろかれぬる

これは「今現在の秋」よりもう少し手前の
「初秋或は晩夏」の時期に詠まれた短歌です。

「来ぬ」「着ぬ」「絹」の
最初の「韻:いん」で衝撃的
なインパクトを伝える「うた」です。
そして
「みえね」「美え音」と「かぜの音」にて
季節そのものの感覚を「音」にあらわした
名歌です。





これからは日は。
陽は次第にみじかくなる。
日が短くなる。
朝は明けるのは遅くなり。
夕に暗くなるのは速くなる。


しだいに陽がみじかくなる・
なぜか。
不思議なやさしさ。
やすらぎと。
心やすらかなる
安堵感をかんじます。
季節には「大気の音」があるようです。


朝空は
陽ははるかに天高く。
空色はミルク色です。
クリームのかかった雲空です。


「つつじ」の「花」が「春に」おわり。
「葉木」になりました。
東京都世田谷区山本クリニックの庭園には

「えどむらさき」という「つつじ」
が「何本」もはえています。
野生種に近いものです。
大きな真紅紫の花を咲かせます。

「つつじ」ですから
盆栽の「皐月:さつき」のような
繊細さはみえません。



「秋」をつたえるがごとく。
モクセイの木が「香り花」の
準備をしています。
「木犀:モクセイ」は「荒い木」
ですが「生き様」は。
樹木としてとてもとても麗しく思います。
ある意味では威風堂々です。


「あじさい」は
のんびりやの気がする。

「あじさい」の「花」はさいたまま
「花がさいた」を忘れたかのように
ぼんやりと木にのっている。
いつ花が散るのだろう。
ふと考えます。

あじさいのはなは散らずにそのまま。
いちょうのきの落葉のように。
「葉」としてまっていくのかな。

ふと思う。

考えれば「あじさいのつぼみ」が
思い出せない。
花の咲く存在感のない植物は
あじさいです。
うすぼんやりした花木です。
水墨画の主人公にはなりえない。






この時期になり。
私は森山を分け入ると。
木々の根元に隠れ咲く。
だいだい色の花の花のごと
「やまはぜの葉木」が「大好き」です。
「やまうるしの紅葉」もかわいらしく。
「大好き」です。
身の丈ほどもある群生する。
「小紫式部:こむらさきしのぶ」
のパープルの「木のみ」にはおどろかされます。
あけびつたもうれしい
あけびの「実」がみつかればなおうれしい。
里山の紅葉の時期になりました。




四季の歩みの春夏秋冬のうつろいは
メトロノームの「あゆみ」を
感じさせます。

この「あゆみ」の「質量」は高いです。
質量があれば。あたかも。
重力のように。
四季のリズムにひきよせられていく。
そのような感じがします。

四季の歩みの春夏秋冬は。
フアジーでいてなお着々。
確実な「リズム」を感じます。

ここに。
「メロディ:旋律」とハーモニー:和声」
がくわわれば「音楽の三要素」。
音楽と同じです。

草花や草木につつまれた自然は。
「音楽」と同じように
ひびきとして聴こえます。

自然は
「しぜん」の
「ヴィルトオーゾ」と「ヴィルトゥオーサ(virtuosa)」
*です。

この「自然のフイルハーモニウム」の。
指揮者は。
太陽なのか大地なのか人なのか。

或は音色をかもし出す自然はオーケストラ
であるのか。
ソリストなのだろうか。

私の尊敬する「合衆国USA」の
女性で小説家(「ノーベル賞受賞者」)
「パール・サイデンストリッカー・バック
(Pearl Sydenstricker Buck)
中国名、賽珍珠(サィ・チンシュ)」
パールバックの「大地」に
その「こたえ」が示唆されています。



古代より芸術家が
自然を音楽や絵画や彫刻
で表現しようとした気持ちが良く判ります。


*ヴィルトゥオーソ(virtuoso)は、
「博識、達人」を意味するイタリア語の男性名詞である。
複数形の場合はヴィルトゥオーシ(virtuosi)
、女性形はヴィルトゥオーサ(virtuosa)となる。
ラテン語のvirtus(「男らしさ」「美徳」「至高」の意)を語源とし、元来は「有徳の」「誉められるべき」
を意味する形容詞の男性形であった。



実際の楽曲ではこの三要素は。
密接に音楽的に結びつきひとつの楽曲をなします。

但し音楽の「リズム・メロディ・ハーモニー」は
一つだけを明確に取り出せる「成分」というわけ
ではありません。

また「音楽であるため」に。
三要素が絶対必要ということ
でもないでしょう。


邦楽などではリズム・ハーモニーは
存在しないか希薄である事が多いです。
「音楽」として「欠陥」があるわけ
ではありません。

「リズム・メロディ・ハーモニー」
が西洋音楽の常識ではありえないほど
高度な進化を遂げた音楽も存在致します。

邦楽もその一つです。

大和の国 やまとのくにの自然は。
「音楽」と同じように思えます。
聴こえます。








木々のめぶきの
ますます力強い息吹を感じます。
「真夏」をすぎると
再び「若葉」がみられることに。
きづきました。
「ため息」がでるほど木々の「秋若葉」の
「つどい」は「つよく」「うつくしい」。

木々のてっぺんは萌黄色から
「ふかみどり」
になりました。
そして「しっかりと樹木として
「夏を迎えた葉束」になりました。
これからは
「深まる秋」をまちます。
「紅葉」の炎が。
くすぶりまちわびてています。



「若葉」の「新緑」から「深緑」です。

高い木々の穂先は萌黄から若草色に。
うねるなみのように。
木々の新緑は常緑となり夏のおとずれを
伝えていました。


桜は葉桜から「葉木」
道路沿いの「けやき」の木々も
萌黄から若葉。
そして青葉。
どうもうともいえる青葉。
そして見え隠れする「紅葉葉」。
紅葉葉の10枚20枚がひとつひとつ
の樹木にみえる。
「黄色調」です。


明らかなる。
「冬から春」とはことなる。
「春から夏」「夏から秋」にむかう四季の
「大気の「色」のうつろい
に気づきます。






今は里山(さとやま)をさまよい。
今は里山(さとやま)をあるきたい。
今は里山(さとやま)の季節。
昔々里山(さとやま)であそび。
昔々て里山(さとやま)でおぼえ。
昔々里山(さとやま)でまなんだ。
昔々のその日々の思い出は。
黄金(こがね)か。あるいは。
銀か。いぶし銀か。
もしかしたらプラチナか。
今は思い出色は鉛のように。
重さは鉛のようになり。
心の奥深くに埋もれて感じられます。


けれども
早朝ははだ寒くなりました。




やま中さまよい
わけいらば
大樹の根元に隠れさける
あけぼの色のちひさきはな
みつけたりやまの華。
やまのはなとおもいきや。 
山はぜの葉木。
やまうるしの葉木。
あきやまはぜの花うるし。


山萩(やまはぎ)の
花かくしてや
はぜやま木

やまはぎの
はなかくしてや
はぜやまき










あきひろくなりけり空(そら)たかし
あきさとやまに木々のみどり木
あきこもれびうけて燃えるがごとし
あきみどりの炎(ほのほ)
あきほのほうちけさむかすみはあおし
あきほのほにかすみにただよひて
あきうるわしくかがやきたり
あたたかくかおりたり
あざやかなりけり 
あきやまさとのやまみどり
あきやまさとのふかみどり



ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
は「英国:United Kingdom UK」の
「風景画家」
天才画家ですが「緑」が大嫌い
で「黄色」が「大好き」。
「木」をかくのを非常にいやがったそうです。

多分ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
が「修行時代」に「お金にために
「どこの国も同じですが」
「名所絵」をかかされたときの
「反動」ではないかと
今の私は考えます。






「大きな夏みつけた」
から
「夏がすぎてて真秋間近い」

「小さな秋みつけた・。」









私は寒い新潟の寒村の百姓のうまれです。
毎朝03:15amには起床致します。

睡眠時間は「4時間」。

朝の病院への移行に車をつかいます。
まっくらです。




朝5:00am前に東京 都 世田谷 区 山本クリニック
の明かりがともります。

真っ暗な中で。
病院の事務局と病院の診察室との
往復はとても気温が低いと
とてもくつらいです。

朝の日の出前までの間は今日御来院される患者さん
の「診療録:カルテ」のチエックと
朝の申し送りの準備です。



-------------------------------
ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
-------------------------------




平成20年2月11日(月曜日)は祝日です。


「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

は「おわりました」。

-------------------------------

平成20年3月20日(木曜日)
は「祝日」です。
けれども
(木曜日)は休診日であるために。
「祝日診療」は行いません。


祝日が(日曜日)(木曜日)とかさなわない限り。
「休日体制」で患者さんの診療を行います。
は終わりました。
++++++++++++++++++++++



平成20年
4月29日(火曜日)
はおわりました。

5月 3日(土曜日)はおわりました。
5月 5日(月曜日)はおわりました。

「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

但し
5月 6日(火曜日)祝日は「お休み」
を頂きました。

5月7日(水曜日)より定常どおり
の診療を行っています。
-------------------------------


7月21日(月曜日)は
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。

はおわりました。


++++++++++++++++++++++

「8月」の夏季休診体制ですが。
8月13日(水曜日)ー8月16日(土曜日)
までが「夏季休診」になります。

けれども
8月13日(水曜日)
8月16日(土曜日)は。
元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。


はおわりました
++++++++++++++++++++++


9月15日(月曜日)
9月23日(火曜日)は。

元来は「祝日で休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。


++++++++++++++++++++++




★★★


今年の春・から冬は予期せぬ
インフルエンザ*の
大規模な流行が予想されます。

東京 都 世田谷 区 山本クリニックでは。
薬事法の「能書」にあるとおり
「正規の」
「2回法によるインフルエンザワクチン」の
予防接種を行います。
御予約が必要です。

1回法=3500円
2回法=7.000円
です。


当院ではいつでも御来院されれば
インフルエンザ予防接種が可能です。
まだ。

インフルエンザ予防接種をされて
いないかたは
ぜひともうけられてください。



-------------------------------


2004年10月15日より厚生労働省により



肺炎球菌ワクチン

が努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
去年2007年の「5月ころ」NHKの
放映があり。
昨年は全国で「肺炎球菌ワクチン」が
たりなくなってしまいました。

------------------------------


成人の風疹急増。

御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は。
風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。

------------------------------



学校の入学式。桜の花。
そして「眼に青葉やまほととぎす・」
の時期。
そして紫陽花が咲き夏になり
秋になりまた今年も冬がくる。

インフルエンザをはじめ「ウイルス系」の
「感染・伝染」が急増致します。


今年は猛暑と厳寒。
「地球温暖化による大気温度差の拡大」が
顕著です。

体調を崩される方が多いものです。
私はこの夏は「猛暑」になり極め厳しい「暑さ」が。
そして気膠の変動は
激しいと思います。


このような今年からは
冬場や春にかぎらず
インフルエンザに
代表されるウイルス性感染症が
大流行するおそれが強い。


麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。


成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。

はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です


-------------------------------


「完全御予約制」の御予約で。
これからの1週間にお越しになる
患者さんの「診療録:カルテ」。

1週間の患者さんの「治療戦略」で
「診療録:カルテ」
をすべからくチエックします。

「御既往」を問診票にお書きいただいており
前回「お書き戴いた文章のあいだ」をよみとる。

「お書き戴いた文章のあいだ」=
行間には「さまざまなものが見えます」。

お書き戴いた
「問診票」は大切な貴重な情報源です。
「問診票」のお書きいただいた文章は
「同じこと」がかかれているようで
わずかにも・内容多くにも・患者さんの
「御自覚症状」を伝えてくれます。



「囲碁・将棋・チエス」で言う所の
「3千手」位までは「先読み」致します。

すなわち患者さんの場合極端に言えば
「10年後」くらいまでのことも考えます。

そのためには逆に考えると今現在から
「10年前」の「病態」の推察も欠かせません。

患者さん御自身「10年前」のことなど
覚えていらっしゃらないことが多いけれども。
「まず外れません」「はずしません」。

考えて。考えをまとめる。
考える。また考える。そしてまた考える。
考えて。考えをまとめる。
考えて。考えをまとめたら。その結果をまた考える。


作業は予想以上に大変で
「1日仕事」になります・・・・。



難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら
私と東京都 世田谷区 山本クリニックの
「スタッフ全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。
よくなられていかれる「笑顔」に。

私そして東京都 世田谷区 山本クリニックの
職員はなによりもの「喜び」を感じます。

難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔に。

心より。

感謝・

感謝。



「今日は何の日」
ヨハネス・ブラームスをことのほか支持し
評価した音楽評論家。
リヒャルト・ワーグナーを
「ことのほか嫌った」ことで有名な音楽評論家。

ワーグナーも自身の楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
においてこの音楽評論家を
「無粋なニュルンベルク市の書記ベックメッサー」
という役のモデルとして仕立てて報復致したことでも有名な。

1825年 - エドゥアルト・ハンスリック、クラシック音楽評論家
(+ 1904年)
の生誕日です。
++++++++++++++++++++++

エドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick,
1825年9月11日 - 1904年8月6日)はプラハに生まれ
ウィーンで活躍した音楽評論家です。

リヒャルト・ワーグナーを痛烈に批判し
ヨハネス・ブラームスを極めて熱く支持致しました。

主著に『音楽的に美なるもの』
(1854年、邦訳は末尾)があります。

オペラは高揚的意図を持ってなされるために
音楽的美意識を損なわせていると。

当時のオペラに対し批判を繰り返し、
音楽の自律的価値基準の復活を主張致しました。

また標題音楽を否定し、
絶対音楽を称揚した点では
ロマン派音楽の潮流と反していました。

けれどもこの「音楽」への姿勢と視線は
ただしいです。


++++++++++++++++++++++
エドゥアルト・ハンスリックは。
ハンスリックは最初は法学を学びこの分野で学位を得ました。

趣味で古典派音楽を勉強致しました。
次第に街の小さな新聞に音楽評論を書きはじめます。

後に Wiener Allgemeine Musik-Zeitung や
Neue freie Presse にも書くようになりました。

引退するまでNeue freie Presse での執筆を続けました。

ウィーン大学において無給の講師となった後に。
教授の職に就き、名誉博士号を得ました。

++++++++++++++++++++++

エドゥアルト・ハンスリック。

ハンスリックはしばしば音楽コンテストで
審査員を務めました。
自伝を執筆した後引退したが
1904年8月6日にバーデンで死去するまで。

その日に初演される
最も重要な公演に関する記事を書いていました。

++++++++++++++++++++++

エドゥアルト・ハンスリックとブラームス
エドゥアルト・ハンスリックちワグナー。

ハンスリックはブラームスの親しい友人として。
ブラームスの音楽に影響を与えており。
初回公演が行われる前に
新曲を聴くことも多かったようです。

ワーグナーを「ことのほか嫌いました」。
リヒャルト・ワーグナーは。
自身の楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
においてハンスリックを
「無粋なニュルンベルク市の書記ベックメッサー」
という役のモデルとして仕立てて報復致しました。

++++++++++++++++++++++

ハンスリックにまつわる逸話
ワーグナーを擁護した
リストのピアノ協奏曲第1番に対し
トライアングルが活躍するのをとらえて
「トライアングル協奏曲」と揶揄しました。

ブルックナーも
ワーグナーを信奉していたために
絶えずハンスリックの攻撃にさらされました。

たまりかねたブルックナーは
オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に拝謁する機会があったとき。
「陛下、ハンスリックが
私の悪口を新聞に書くのをやめさせて下さい」
と懇願したということです。

チャイコフスキーの音楽に対しても批判的でした。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の
ウィーン初演を聴いたハンスリックは
「臭いを放つ音楽とはこのことだ」と酷評致しました。

ハンスリックはブラームスの音楽を評価し支持していたが

ブラームスの方は「ハンスリックの書いたものを読むと、
実は彼は私の音楽を理解していないのではないかと思ってしまう」
という趣旨のコメントをも残してもいます。

ハンスリックは、ブラームスや
ブラームスに近いドヴォルザークらを擁護する一方。
ワーグナーと
「ワグネリアン」と称されるワーグナーに近いと目された人物には
徹底的な批判を加えました。


++++++++++++++++++++++

エドゥアルト・ハンスリック

しかし批判する相手の曲については、
初演前に楽譜を入手して予習したり。

演奏の途中に退席したように
見せかけながら別室で最後まで聴いていたりなど。
相当に鋭く研究していたようです。

現在残されている批評文の指摘には、
現在に通用するものも少なくはありません。


++++++++++++++++++++++
エドゥアルト・ハンスリック

ハンスリックは、マーラーが
コンクールに応募したカンカータ
『嘆きの歌』を落選させました。
けれども
マーラーが補筆完成させた
ウェーバーのオペラ"3人のピント"を聴いた際に。

「否定のない器用さと
オーケストラに対する優れたセンス」をマーラーが持っているとし。

マーラーの歌曲に対しても
「極めて繊細な神経と卓越した技法によって完成されている」
と評価しなおしています。

但しエドゥアルト・ハンスリックは
作曲家ではなく指揮者としての方のマーラーを高く評価して
いました。


++++++++++++++++++++++

ハンスリックは
リヒャルト・シュトラウスの交響詩『死と変容』の
ウィーン初演を聞いた後
(この時点ではシュトラウスはオペラを未だ1つも発表していない)
「シュトラウスの才能のあり方は音楽劇への道を指し示している」
と記しました。

その後のシュトラウスが
オペラに傾いて行く事を暗示しています。
実際その通りになりました。

ハンスリックの母方はユダヤ人の家系だったのです。
しかし
ワーグナーに対する批判を彼の反ユダヤ主義に対しての
単なる反感と受け取られることを嫌ったハンスリックは。

自分にはユダヤ人の血は流れていないと
虚偽の申し立てをしていました。
エドゥアルト・ハンスリック自身が「ユダヤの血」
を嫌ったわけではありません。
リヒャルト・ワーグナー批判の「理由付け」に
されるのを嫌いました。
++++++++++++++++++++++


エドゥアルト・ハンスリックは
根っからの「音楽のすきな方」。

ただそれだけです。
良い方であったのでしょう。

++++++++++++++++++++++




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エドゥアルト・ハンスリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF



エドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick, 1825年9月11日 - 1904年8月6日)はプラハに生まれウィーンで活躍した音楽評論家。リヒャルト・ワーグナーを痛烈に批判し、ヨハネス・ブラームスを支持した。主著に『音楽的に美なるもの』(1854年、邦訳は末尾)があり、オペラは高揚的意図を持ってなされるために、音楽的美意識を損なわせていると、当時のオペラに対し批判を繰り返し、音楽の自律的価値基準の復活を主張した。また、標題音楽を否定し、絶対音楽を称揚した点でロマン派音楽の潮流と反していた。

ハンスリックは法学を学び、この分野で学位を得たが、趣味で古典派音楽を勉強し、次第に街の小さな新聞に音楽評論を書きはじめ、後に Wiener Allgemeine Musik-Zeitung や Neue freie Presse にも書くようになる。引退するまで Neue freie Presse での執筆を続けた。ウィーン大学において無給の講師となった後、教授の職に就き、名誉博士号を得た。ハンスリックはしばしば音楽コンテストで審査員を務めた。自伝を執筆した後引退したが、1904年8月6日にバーデンで死去するまで、その日に初演される最も重要な公演に関する記事を書いていた。

ハンスリックはブラームスの親しい友人として、ブラームスの音楽に影響を与えており、初回公演が行われる前に新曲を聴くことも多かった。ワーグナーは、自身の楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』においてハンスリックを無粋なニュルンベルク市の書記ベックメッサーという役のモデルとして仕立てた。




ハンスリックにまつわる逸話
ワーグナーを擁護したリストのピアノ協奏曲第1番に対し、トライアングルが活躍するのをとらえて「トライアングル協奏曲」と揶揄した。
ブルックナーも、ワーグナーを信奉していたために絶えずハンスリックの攻撃にさらされた。たまりかねたブルックナーは、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に拝謁する機会があったとき、「陛下、ハンスリックが私の悪口を新聞に書くのをやめさせて下さい」と懇願したという。
チャイコフスキーの音楽に対しても批判的であった。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のウィーン初演を聴いたハンスリックは「臭いを放つ音楽とはこのことだ」と酷評した。
ハンスリックはブラームスの音楽を評価し支持していたが、ブラームスの方は「ハンスリックの書いたものを読むと、実は彼は私の音楽を理解していないのではないかと思ってしまう」という趣旨のコメントを残してもいる。
ハンスリックは、ブラームスやブラームスに近いドヴォルザークらを擁護する一方、ワーグナーと、「ワグネリアン」と称されるワーグナーに近いと目された人物には徹底的な批判を加えた。しかし、批判する相手の曲については、初演前に楽譜を入手して予習したり、演奏の途中に退席したように見せかけながら別室で最後まで聴いていたりなど、相当に研究していたようである。現在残されている批評文の指摘には、現在に通用するものも少なくはない。
ハンスリックは、マーラーがコンクールに応募したカンカータ『嘆きの歌』を落選させたのだが、マーラーが補筆完成させたウェーバーのオペラ"3人のピント"を聴いた際には、「否定のない器用さと、オーケストラに対する優れたセンス」をマーラーが持っているとし、マーラーの歌曲に対しても「極めて繊細な神経と卓越した技法によって完成されている」と評価している。但し、作曲家ではなく指揮者としての方のマーラーを高く評価していた。
ハンスリックは、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『死と変容』のウィーン初演を聞いた後(この時点ではシュトラウスはオペラを未だ1つも発表していない)、「シュトラウスの才能のあり方は音楽劇への道を指し示している」と記し、その後のシュトラウスがオペラに傾いて行く事を暗示していたが、実際その通りになった。
ハンスリックの母方はユダヤ人の家系だった。しかし、ワーグナーに対する批判を、彼の反ユダヤ主義に対しての単なる反感と受け取られることを嫌ったハンスリックは、自分にはユダヤ人の血は流れていないと虚偽の申し立てをした。

著書
『音楽美論』岩波文庫 青 503-1 渡辺護 訳 岩波書店 ISBN 4003350316




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9月11日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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できごと
1888年 - 高等師範学校尋常中学科(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)が設立される。

1900年 - 日本初の公衆電話設置。

1905年 - 日本海海戦で有名な戦艦三笠が佐世保港で爆発沈没。

1907年 - 電機学校(東京電機大学の前身)創立。

1924年 - 東京天文台(国立天文台の前身)三鷹に移転。

1937年 - 後楽園球場開場。

1938年 - 日中戦争の戦意高揚を目的とした従軍作家陸軍部隊が中国へ出発。

1945年 - GHQが戦犯容疑者39人の逮捕を指令。

1949年 - 岩宿遺跡の発掘はじまる。

1950年 - 大相撲関脇・力道山引退表明。

1951年 - 日本がISOに加盟。

1955年 - 日本国内初の空からのウラン調査を実施。岡山県西部などに有望な地域を発見。

1973年 - チリ・クーデター勃発、アジェンデ政権倒れる。

1985年 - ロス疑惑の三浦和義が殴打事件で殺人未遂として逮捕される。

1992年 - 日本プロ野球史上最長の試合が行われる。
(阪神甲子園球場での阪神―ヤクルト戦 6時間26分)

1996年 - 民主党結党(日本)。

1997年 - 第2次橋本内閣発足。

1999年 - 映画『マトリックス』が日本で劇場公開。

2000年 - 東海地方で集中豪雨(東海豪雨)発生。名古屋市周辺を中心に甚大的な被害。

2001年 - アメリカ同時多発テロ事件。

2002年 - 織田無道が宗教法人乗っ取りで逮捕される。

2004年 - 栃木兄弟誘拐事件発生。

2005年 - 第44回衆議院議員総選挙。郵政民営化を訴えた自由民主党が圧勝。











誕生日
1182年(寿永元年8月12日) - 源頼家、鎌倉幕府第2代将軍(+ 1204年)

1611年 - テュレンヌ子爵アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ、フランス大元帥(+ 1675年)

1719年(享保4年7月27日)- 田沼意次、江戸幕府の側用人・老中(+ 1788年)

1825年 - エドゥアルト・ハンスリック、クラシック音楽評論家(+ 1904年)

1854年 - ハインリッヒ・エドムント・ナウマン、地質学者(+ 1927年)

1862年 - O・ヘンリー、小説家(+ 1910年)

1877年 - ジェームズ・ジーンズ、物理学者・天文学者・数学者(+ 1946年)

1885年 - D・H・ローレンス、小説家(+ 1930年)

1903年 - 山之口貘、詩人(+ 1963年)

1917年 - フェルディナンド・マルコス、フィリピン元大統領(+ 1989年)

1929年 - サトウサンペイ、漫画家

1929年 - 榮久庵憲司、工業デザイナー

1935年 - アルヴォ・ペルト、作曲家

1940年 - ブライアン・デ・パルマ、映画監督

1944年 - 尾崎行雄、元プロ野球選手

1944年 - 山田要一、元調教師

1945年 - フランツ・ベッケンバウアー、元サッカー選手

1947年 - 泉ピン子、女優

1947年 - 渡辺範彦、ギタリスト(+ 2004年)

1954年 - 佐藤義則、元プロ野球選手、コーチ
1954年 - 伊藤秀志、ローカルタレント
1956年 - 美藤啓文、毎日放送アナウンサー
1956年 - 鈴木弘規、元プロ野球選手
1960年 - 涼風真世、女優・歌手・声優
1960年 - 田丸一男、毎日放送アナウンサー
1963年 - 岩瀬惠子、フリーアナウンサー
1964年 - ヴィクター・ウッテン、エレクトリックベーシスト
1965年 - バッシャール・アル=アサド、シリア大統領
1965年 - ポール・ヘイマン、元ECW代表
1966年 - 文仁親王妃紀子、日本の皇族(秋篠宮妃)
1968年 - 倉田てつを、俳優
1968年 - 成本年秀、元プロ野球選手
1971年 - 矢作兼、お笑いタレント(おぎやはぎ)
1971年 - 森山大輔、漫画家
1972年 - 浅野香織、女優
1973年 - 小籔千豊、お笑いタレント・吉本新喜劇座長
1973年 - トム・デイビー、プロ野球選手
1974年 - 今岡誠、プロ野球選手
1974年 - 虻川美穂子、お笑いタレント(北陽)
1978年 - デヤン・スタンコビッチ、サッカー選手
1978年 - まきのめぐみ、歌手
1978年 - 船津未帆、女優
1979年 - 前田啓介、エレクトリックベーシスト(レミオロメン)
1981年 - 山本麻里安、声優
1983年 - ひとりでできるもん、ダンサー
1984年 - 安田章大、歌手(関ジャニ∞)
1986年 - 佐々木和徳、俳優
1986年 - 中村知世、女優
1986年 - 玉置隆、プロ野球選手
1987年 - 大島麻衣、歌手(AKB48)
1989年 - 倉持明日香、歌手(AKB48)
1997年 - 森迫永依、子役















忌日
1349年 - ボンヌ、フランス王太子ジャンの妃(* 1315年)

1677年 - ジェームズ・ハリントン、政治哲学者(* 1611年)

1680年(延宝8年8月19日)- 後水尾天皇、第108代天皇(* 1596年)

1733年 - フランソワ・クープラン、作曲家(* 1668年)

1760年 - ルイ・ゴダン、経済学者(* 1704年)

1823年 - バルタザール・カンペンガウゼン、政治家(* 1772年)

1823年 - デヴィッド・リカード、経済学者(* 1772年)

1896年 - フランシス・ジェームズ・チャイルド、バラッド研究家(* 1825年)

1917年 - ジョルジュ・ギンヌメール、エース・パイロット(* 1894年)

1926年 - 尾上松之助、俳優 (* 1875年)

1941年 - マリア・スピリドーノワ、左翼社会革命党指導者(* 1884年)

1947年 - アリス・ケッペル、イギリス王エドワード7世の愛妾(* 1869年)

1948年 - ムハンマド・アリー・ジンナー、インド・ムスリム連盟指導者(* 1876年)

1949年 - アンリ・ラボー、作曲家(* 1873年)

1964年 - 川野彰子、小説家(* 1928年)

1971年 - ニキータ・フルシチョフ、ソビエト連邦首相(* 1894年)

1973年 - サルバドール・アジェンデ、チリ大統領(* 1908年)

1976年 - 石橋正二郎、ブリヂストン創業者(* 1889年)

1984年 - 河合保彦、元プロ野球選手(* 1933年)

1985年 - 夏目雅子、女優(* 1957年)

2001年 - バーバラ・オルソン、コメンテーター(* 1955年)

2001年 - モハメド・アタ、テロリスト(* 1968年)

2003年 - アンナ・リンド、スウェーデン元外務大臣(* 1957年)

2006年 - 吉永正人、元競馬騎手、調教師(* 1941年)

2006年 - ウィリアム・オールド、詩人 (* 1924年)

2007年 - ジョー・ザヴィヌル、ジャズ・フュージョンミュージシャン(* 1932年)

2007年 - ウィリー・ティー、キーボード奏者(* 1944年)
















記念日・年中行事
二百二十日(日本、2002年・2003年・2004年)
立春から数えて220日目の日。
二百十日と同じく台風襲来の時期であるため、農家の厄日とされる。

公衆電話の日(日本)
1900年9月11日に日本初の自動公衆電話が
東京の新橋駅と上野駅、熊本市内に設置されたことに由来。
NTTがこれを記念して制定した。
最初の公衆電話は交換手を呼び出してから
お金を入れて相手につないでもらうもので、
料金は5分で15銭だった。



おわり・おわり・おわり・おわり・おわり・おわり・




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posted by clinicayamamoto at 09:59| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする