2007年10月03日

東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳
平成19年10月3日(水曜日)


東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

脳神経外科・神経内科・内科・外科・形成外科・美容外科・
心療内科・耳鼻咽喉科

山本クリニック形成外科・皮膚外科・美容外科
形成外科・美容外科・・レーザー治療・レーザー外科
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mddmsci
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東京 都 世田谷 区 の 評判 山本クリニックの毎日の日記帳

平成19年10月3日(水曜日)


ミニ伝言板
★当院は完全予約制です。★
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来週の10月8日(月曜日)
は祝日です。
「祝日」で元来は「休診日」です。
けれども「完全御予約制」の
御予約の患者さんのみ
限られた時間帯で診療を行います。
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★★★

今年の秋・冬・来春はインフルエンザの
大規模な流行が予想されます。
2回法によるインフルエンザワクチンの
予防接種を行います。
御予約が必要です。


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2004年10月15日より厚生労働省により
肺炎球菌ワクチンが努力義務のある予防接種の対象
とされました。当院でも接種可能です。
御予約が必要です。
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成人の風疹急増。御婦人で風疹の既往が定かでない
場合は風疹抗体価血液検査と風疹ワクチン予防接種を
御勧め致します。
御予約が必要です。
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麻疹(はしか)の大きな流行が予想されます。
成人しての麻疹(はしか)は重傷化しやすいです。
はしか(麻疹)のワクチンの予防接種を行っています。
御予約が必要です
-------------------------------



ふう。今日の診療が終わりました。
今日もとても忙しかったです。ふう。

残暑と猛暑の夏のえいきょうに重なり
急激に「寒くなり」
体調を崩される方が多いものです。

このような今年の冬場はインフルエンザが
大流行する可能性が強い。
御注意下さい。


難易度の高い「病態」をお持ちの
患者さんが増えています。
難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが
「良くなられていく」笑顔を思い浮かべながら。



私 院長の山本博昭と
東京都 世田谷区 山本クリニックの
「全員」が頑張ります。

難易度の高い「病態」の患者さんの良くなられる
「笑顔」は何物にも変えがたい。


難易度の高い「病態」の患者さんが患者さんが。

「良くなられていく」笑顔に。


心より感謝・感謝。





「今日は何の日」


1942年 - ナチス・ドイツが開発していた
ヴェルナー・フォン・ブラウンの
設計による
V2ロケット、
3度目の挑戦で初の打ち上げ成功の日です。
-------------------------------
ヴァルター・ドルンベルガー
(Walter Dornberger) 陸軍大尉は、
資金難に悩むアマチュアの研究者
ヴェルナー・フォン・ブラウンらの才能を見抜き、
陸軍兵器局の液体燃料ロケット研究所で研究を
続けることを彼に説得致しまそた。

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なお
開発技術者の。
ヴェルナー・フォン・ブラウンは
v2ロケットで大成功のあと。
終戦後に
「合衆国USA」に勧誘されました。
そして「サターン」を始めとする
「合衆国USA」の「「大型」ロケット」
をどんどん開発していきました。
-------------------------------
V2号とは宣伝大臣ゲッベルスが命名した
報復兵器第2号
(Vergeltungswaffe 2) を指すします。

この兵器は第二次世界大戦中にドイツが開発した。

世界で最初の
軍事用液体燃料ロケット(弾道ミサイル)です。
大戦末期、主にイギリスとベルギーの目標に対し
発射されました。

開発名称の Aggregat 4 (略号:A4 )も
知られています。
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技術的な詳細説明
V2 の射程距離は約1,000kgの弾頭でおよそ300kmでした。
そのほかの仕様は次の通り:

構成:1段式液体ロケット
全長:約14m
直径:約1.7m
離陸時質量:12,800kg
離陸時推力:27,000kgf
V2 はアルコール(エタノール)と
水との混合燃料と酸化剤の液体酸素により
推進されました。

燃料ターボポンプは過酸化水素により
駆動されました。
水とアルコールの混合物は重量軽減のため
アルミニウムの
燃料タンクに貯蔵されたが、アルミニウムは
稀少かつ高価であったため、
ドイツの戦時経済にとっては大きい負担
であったようです。
-------------------------------

戦後の V2 の利用

アメリカの「バンパー」の試射 (1950年)
戦争の末期には、
V2ロケットと技術者たちをできるだけ多く
獲得するレースが行われ
ました。

アメリカ軍は
ペーパークリップ作戦(en)の下で貨車300両分の
V2 とその部品を捕獲し、アメリカ陸軍の
オルガー・N・トフトイ大佐(当時)は、
ジョージ・パットン大将率いる第3軍が捕らえた。

フォン・ブラウンやドルンベルガー将軍
をはじめとするドイツの
126人の主要な設計技術者をアメリカに連れ帰り
ました。

-------------------------------
その後数年間、アメリカのロケット計画は未使用の
V-2 ロケットを活用して進められました。

これらの改良型 V-2 のひとつである
2段式の「バンパー(Bumper)」は、
1949年2月24日の試験飛行で当時の高度記録である
400kmを達成しました。

多くのロケットは上層大気の観測など
平和的な目的で利用されました。
-------------------------------

フォン・ブラウンは
アメリカ陸軍のレッドストーン兵器廠で
勤務することとなり、
1950年からはアラバマ州ハンツビルに住むようになりました。

ほどなく彼は
レッドストーン、ジュピター、ジュピター-C、パーシング
そしてサターンなど、
殆どすべてのアメリカのロケットの
生みの親となったのです。
-------------------------------
因みに
日本の「ロケット開発の歴史」は
他国とは全く異なり
「民間人」がつくり民間人が発射場をきめて・
という「全く例外的な歴史」を持っています。

東京大学工学部教授の「糸川英夫」博士が
村田勉氏(火薬の専門家今現在の「日産」*に
勤務されていた)が。
(*富士精密(のちの日産自動車。
現在のアイエイチアイ・エアロスペース)

考えた挙句の「米軍が朝鮮線戦争のときに
用いた小火器用のマカロニ火薬を燃料として
東京都 国分寺の向上跡地で。

垂直ではなく「水平」に発射されました。
先進国のロケット開発が「ずっと民間人」の手で
行われてきたのは「日本」だけです。

因みにこのとき発射されたペンシルロケットは
「村田博士」自身が保管しておりましたが。
スペースシャトル日本人宇宙飛行士
(野口聡一さん(40))
によって
スペースシャトルの「内部」には「先の尖ったもの」
は「持ち込み不許可」にも関らず「事情」を
知った「NASA]は無条件全員一致の許可で
「持ち込み許可を全員一致」
で決められ「宇宙*旅行」をしてきました。
(*宇宙の定義は高度100km以上をいいます)

このペンシルロケットには
オークションで最低1500万円の値が付きました
が。
勿論「村田氏」は手放しませんでした。
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の記事は「続きを読む」をどうぞ。これで終了です。




東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭(脳神経外科専門医)
東京都 世田谷区 山本クリニック 山本 博昭

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V2ロケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/V2%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88



V2号とは宣伝大臣ゲッベルスが命名した報復兵器第2号
(Vergeltungswaffe 2) を指す。

この兵器は第二次世界大戦中にドイツが開発した
世界で最初の軍事用液体燃料ロケット(弾道ミサイル)である。
大戦末期、主にイギリスとベルギーの目標に対し発射された。

開発名称の Aggregat 4 (略号:A4 )も知られている。

目次 [非表示]
1 開発
2 生産・発射
3 戦後の V2 の利用
4 技術的な詳細説明
5 メディア作品の中の V2
6 架空戦記の中の V2
7 その他
8 映画
9 関連項目
10 参考文献
10.1 脚注
11 外部リンク



開発
1927年に結成されたドイツ宇宙旅行協会(Verein fur Raumfahrt)は、
宇宙旅行を夢見て1929年頃から液体燃料ロケットを研究していた。
ヴェルサイユ条約で大型兵器の開発を禁止されていたヴァイマル共和国の陸軍は、
1932年に同協会が開発中の液体燃料ロケットを
長距離攻撃兵器として発展させる可能性に注目、
ヴァルター・ドルンベルガー (Walter Dornberger) 陸軍大尉は、
資金難に悩むアマチュアの研究者ヴェルナー・フォン・ブラウンらの才能を見抜き、
陸軍兵器局の液体燃料ロケット研究所で研究を続けることを彼に説いた。

フォン・ブラウンらはそれに応じ、1934年12月、
フォン・ブラウンはエタノールと液体酸素を推進剤とする
小型の A2 ロケット(質量500kg)の飛行実験で新たな成功を収めた。

1936年までにはチームは A 2ロケットの開発計画を終了し、
新たに A 3と A4 の開発に着手していた。後者は射程距離175km、
最大高度80km、搭載量約1トンとして設計された。
フォン・ブラウンの設計するロケットが兵器としての現実味を帯びつつあることは明らかであり、
ドルンベルガーは実験規模を拡大し、
かつ研究活動を秘匿するため、開発チームをベルリン近郊の
クマースドルフ陸軍兵器実験場 (Heeresversuchsanstalt Kummersdorf)
からドイツ北部バルト海沿岸のウーゼドム島に新設した
ペーネミュンデ陸軍兵器実験場 (HVP) に移した。

A4 の約1/2スケールモデルのA3は全4回の打上げに全て失敗したため、
A5 の設計が始められた。このヴァージョンは
完璧な信頼性を備え、1941年までには開発チームは
約70基のA5 ロケットを試射していた。

最初の A4 は1942年3月に飛行し、
およそ1.6km 飛んで海中に落下した。
2回目の打上げでは高度11.2km まで飛行して爆発した。

1942年10月3日に行われた3回目の打上げで成功し、
ロケットが完全な軌跡を飛び、宇宙空間に突入した初の人工物体となって
192km 先に落下した。

1940年頃よりイギリス軍情報部は写真偵察から
この兵器開発に気付き、1943年8月にペーネミュンデを爆撃した。

このため、同年11月より生産テスト・
発射訓練部隊を内陸部奥深い武装親衛隊演習場のハイデラガー
(現ポーランドのブリッツァ)に移した。

試射されたミサイルをポーランド人レジスタンスが
ブク川の土手から回収し、極めて重要な技術的詳細を
イギリスに伝えたこともあり、
連合軍はペーネミュンデを何回か爆撃し、研究と生産を遅延させた。

ドルンベルガーは、当初よりトラクター牽引式の発射装置を想定し、
ロケットサイズを鉄道、道路輸送できるような範囲に留めることを設計条件としていた。
アドルフ・ヒトラーは地下発射陣地建設に拘ったために、
最初の地下発射陣地建設は、カレー近くで1943年に開始されたが、
イギリスは直ちにこれを爆撃して破壊した。

この一連の作戦はクロスボー作戦 (Operation Crossbow) としてよく知られている。

このために地下発射陣地建設計画が破棄され、
ミサイル、人員、機器、燃料のために約30台の各種車両から成る
技術部隊、発射部隊が編成された。

ミサイルは工場から射場近くに鉄道輸送され、
運搬車 (Vidalwagen) に載せ換え、射場へ道路輸送され、
弾頭が取り付けられた後に発射部隊がミサイルを発射台兼用車
(Meilerwagen) に移し、液体燃料を注入して発射した。

ミサイルは事実上どこからでも発射することが可能で、
カモフラージュの観点から特に森林の道路上から好んで発射された。
射場の決定から発射までに要する時間は、4 - 6時間程度だった。

ミサイル発射部隊は機動的で小部隊だったため、
発射・運搬車両は一度として敵空軍に捕捉されたことはなかった。





生産・発射
V2は、ドイツ中部のノルトハウゼン近郊の岩塩採掘抗を利用した工場で生産された。
ドーラ (Mittelbau-Dora) と名づけられた強制収容所の労働力が生産にあたった。
約10,000人の労働者が過労と警備員の手で殺された。

奴隷労働者の多くはフランスとソ連の戦争捕虜であった。

最初に運用段階に達したのは第444砲兵大隊であった。
1944年9月2日、彼らは当時解放されたばかりのパリに向けて
ロケット発射攻撃を開始すべく、
ベルギーの近くのホウファリーゼの近くに発射基地を設営した。

翌日第485砲兵大隊がロンドン攻撃のためにハーグに移動した。
数日間は打ち上げは失敗に終わったが、
9月8日両部隊とも発射に成功した。

これらは氷山の一角である。
続く数ヶ月間に発射された総数は、次の通りである。


岩塩採掘の洞穴に設置された生産ライン

ドーラの焼却炉ベルギーに対して
アントワープ 1610
リエージュ 27
ハセルト 13
トゥルネ 9
モンス 3
ディースト 2
フランスに対して
リール 25
パリ 22
トゥールコアン 19
アラス 6
カンブレ 4
イギリスに対して
ロンドン 1358
ノリッジ/イプスウィッチ 44
地上部隊が爆破に失敗したライン川に架かる鉄橋を目標に
レーマゲンの鉄橋 11
オランダに対して
マーストリヒト 19

1945年3月3日連合軍はハーグ近郊の V2 と発射設備を大規模爆撃で破壊しようと試みた。しかし、航法の誤差のため Bezuidenhout 区域が破壊され、500人の市民が死亡した。

V2 は、軍事的には効果は限定的であった。誘導システムは初歩的過ぎて特定の目標を狙うことはできなかったし、コストは概ね4発で爆撃機1機に匹敵した。爆撃機はかなり正確に攻撃でき、より長距離を飛べ、遥かに多い弾頭を運搬できたし、繰り返し使用できた。そうはいっても、V2 はかなりの心理的効果をもたらした。爆撃機や、特徴的な唸り音を発するV1飛行爆弾と違って、V2 は音速以上で飛来し、着弾の前に何の警告も無かったし、当時存在したいかなる兵器を用いても迎撃は全く不可能だったので、ドイツにとって有用な兵器でありえたのである。特にロンドン市民は連日の攻撃に、多大な不安に晒され、市街地への被害も甚大であった。

但し迎撃不可能であるがゆえに、連合軍はV2の攻撃を阻止するためには、元の発射基地を制圧する必要を生じ、かえってドイツへの侵攻を早める動機づけになった。そういった意味で、ドイツの敗北を早めた兵器であるとも言える。一方、同じ報復兵器であるV1飛行爆弾は、低速で迎撃が可能であり、それゆえに連合軍は迎撃のために戦力を割かねばならず、そういった意味でV2より戦略効果があったとも言える。






戦後の V2 の利用

アメリカの「バンパー」の試射 (1950年)戦争の末期には、
V2ロケットと技術者たちをできるだけ多く獲得するレースが行われた。

アメリカ軍はペーパークリップ作戦(en)の下で貨車300両分の
V2 とその部品を捕獲し、アメリカ陸軍のオルガー・N・トフトイ大佐(当時)は、
ジョージ・パットン大将率いる第3軍が捕らえた
フォン・ブラウンやドルンベルガー将軍をはじめとする
126人の主要な設計技術者もアメリカに連れ帰った[1]。

その後数年間、アメリカのロケット計画は未使用の
V-2 ロケットを活用して進められた。これらの改良型 V-2 のひとつである
2段式の「バンパー(Bumper)」は、
1949年2月24日の試験飛行で当時の高度記録である400kmを達成した。

多くのロケットは上層大気の観測など平和的な目的で利用された。

フォン・ブラウンはアメリカ陸軍のレッドストーン兵器廠で
勤務することとなり、
1950年からはアラバマ州ハンツビルに住むようになった。
ほどなく彼は
レッドストーン、ジュピター、ジュピター-C、パーシングそしてサターンなど、
殆どすべてのアメリカのロケットの生みの親となったのである。

ソ連もまた多数の V2 ロケットと250人余りの技術者を捕らえた。
元共産党員の妻を持つヘルムート・グレトルップ(Helmut Grottrup)
がこのグループを率いた。彼らはドイツ国内で研究を継続できるという
条件でソ連軍に協力したが、
1946年にソ連は突如彼らをソ連国内の孤島 (Goromlia) に収容して、
V2 ロケットをもとに多くの新しいミサイルの開発を行なわせた。
しかし、ドイツ人の設計によるものは一つも生産されたものはなかった。
結局、1950年代になり、
ソ連の技術者チームが十分な経験を積むと、
ドイツ人技術者チームは、ドイツに帰国させられた。

ドイツ人技術者の技術をもとに、ソ連が開発したミサイルにはV-2のコピーR-1、射程延伸型R-2、R-3(計画のみ)、ソ連で最初に核弾頭を搭載したR-5およびR-5M([NATO]名SS-3 Shyster)などがある。スカッド([NATO]名 SS-1b/c SCUD。ソ連名称 R-11およびR-17。)ミサイルはそれらの技術から発展した戦術ミサイルである。

同様にイギリスは少数の V2 ミサイルを捕獲し、いくつかを北ドイツの射場でバックファイア作戦として打ち上げた。しかし、作戦に関係した技術者はすでに、試験発射の完了後にアメリカに移ることに合意していた。バックファイア作戦の報告は、あらゆる支援手順、専用の車両そして燃料合成を含む広範囲な技術文書を残した。







技術的な詳細説明
V2 の射程距離は約1,000kgの弾頭でおよそ300kmであった。 そのほかの仕様は次の通り:

構成:1段式液体ロケット
全長:約14m
直径:約1.7m
離陸時質量:12,800kg
離陸時推力:27,000kgf
V2 はアルコール(エタノール)と
水との混合燃料と酸化剤の液体酸素により推進された。

燃料ターボポンプは過酸化水素により駆動された。
水とアルコールの混合物は重量軽減のためアルミニウムの
燃料タンクに貯蔵されたが、アルミニウムは稀少かつ高価であったため、
ドイツの戦時経済にとっては大きい負担であった。

燃料は主燃焼機の壁を通してポンプで運ばれた。
これは混合燃料を予熱すると同時に燃焼機を冷却して、
過熱による溶融を防ぐためである。

そして燃料はアルコールと液体酸素の混合比が常に適切になるように、
いくつかのノズルを通って主燃焼室に運ばれた。

いくつかの後期の V2 は誘導電波、
すなわち目標に対してミサイルを誘導するために地上から送信する
電波信号を用いたが、
初期モデルはロケットの方位を合わせるための
単純なアナログコンピュータを用いた。
飛行距離は燃料量で制御された。
燃料が燃焼完了すると、ロケットは加速を停止し、
程なく放物線飛行カーブの頂点(約80km)に達した。

作戦用のV2は大抵何種類かの迷彩パターンで塗装されたが、
終戦近くには全面オリーブグリーン色塗装も見られた。
試験中には、ロケットは特徴的な黒白の市松模様で塗装され、
ロケットが自身の長軸を回転軸としてスピンしたか
どうか判断できるようにされた。






メディア作品の中の V2
V2はトマス・ピンチョンの長編小説『重力の虹』で重要な役割を果たす。

ベルギーの漫画「タンタンの冒険」シリーズの作品『タンタンの冒険 めざすは月』(Objectif Lune/Destination Moon)および『タンタンの冒険 月世界探検』(On a marche sur la Lune/Explorers on the Moon)に登場する月ロケットは、一見、A4そっくりである。両機の機体表面に描かれているチェック模様が酷似している為だが、これは当時まだ、打ち上げ発射台に乗せたロケット機体の傾き誤差をセンサーで自動検知する技術が確立されていなかった為である(人の視力で、遠方からそれを事前にチェック・把握するしか術が無く、それを少しでも円滑に行い易くする様、機体にチェック模様が塗られていた)。戦後、アメリカが開発した宇宙開発用ロケットの初期段階の機種でも、同じ様な模様を暫く描いて運用されていた。ロケットの表面にチェック模様が描かれるのがごく当たり前の時代に創作されたが為、前述の作品でも同じくそういうデザインが採り入れられたと思われる。

米映画「スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」(2004)の最後の場面に登場するロケットも、V2の形をしている。



架空戦記の中の V2
架空戦記の中ではかなり有効な兵器として見られる場合が多く、
V2 やその発展型が核兵器を搭載し、
イギリス本土やアメリカ本土、あるいは日本本土まで攻撃することがある。

一方で正史ではあまり効果がなかったため、
開発を縮小、中止にして核兵器やその他の兵器に力を注ぐという作品もある。

コミック版『新・旭日の艦隊』(飯島祐輔)において、
海上要塞「クレーブス」に搭載。発射されないまま特殊部隊によって破壊された。

『逆撃シリーズ・ドイツ編』(柘植久慶)において、
核弾頭装備のV2を発射する計画が発動したが、
ハインリヒ・ヒムラーの妨害により頓挫している。




その他
小室哲哉とYOSHIKIからなる音楽ユニット「V2」も、V2ミサイルから由来する。ネーミングは小室哲哉によるもので、飼い犬を「ユンカース」と命名するなど、彼はドイツ軍マニアであるという。





映画
クロスボー作戦(原題:Operation Crossbow)、Metro-Goldwyn-Mayer,1965年製作




関連項目
ロケット・ミサイル技術の年表




参考文献
ヴァルター・ドルンベルガー『宇宙空間をめざして・V2物語』松井巻之助(訳)、岩波書店、1967年
野木恵一『報復兵器V2』朝日ソノラマ、1983年
Werner Oswald: Kraftfahrzeuge und Panzer der Reichswehr, Wehrmacht und Bundeswehr, Motorbuch, 1995, ISBN 3-87943-850-1
Wolfgang Fleischer (クマースドルフ陸軍兵器実験場) : Die Heeresversuchsstelle Kummersdorf, Podzun-Pallas Verlag, 1995, ISBN 3-790-90556-9
クルト・マグヌス『ロケット開発収容所・ドイツ人科学者のソ連抑留記録』サイマル出版会、1996年、ISBN 4-377-31074-7
Micheal J.Neufeld (ペーネミュンデ陸軍兵器実験場): The Rocket and the Reich ,Peenemunde and the Coming of the Ballistic Missile Era, Free Press, 1995, ISBN 0-02-922895-6
Tracy Dungan: V-2: A Combat History of the First Ballistic Missile, Westholme Publishing ([1]) 2005, ISBN 1594160120





脚注
[ヘルプ]^ "A Memoir of MG Tofoy by a West Point Classmate (英語)" Redstone Arsenal Historical Information. レッドストーン兵器廠. 2007年8月18日閲覧.







外部リンク
ウィキメディア・コモンズにV2ロケットに関連するマルチメディアがあります。Encyclopedia Astronauticaの記事
ペーネミュンデから宇宙へ
"http://ja.wikipedia.org/wiki/V2%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88" より作成
カテゴリ: ドイツ第三帝国の兵器 | 弾道ミサイル














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10月3日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%883%E6%97%A5



できごと
1789年 - ジョージ・ワシントンが同年11月26日を感謝祭として祝う事を提唱。

1863年 - エイブラハム・リンカーンが11月の最終木曜日を感謝祭として
国民の祝日に制定。

1904年 - フランス・スペイン協定締結、
これによって両国のモロッコにおける権益が画定される。

1906年 - ベルリンで開かれた万国無線通信会議においてSOSが遭難信号として採択。

1918年 - ボリス3世がブルガリア国王に即位。

1920年 - 凱旋門賞創設。

1929年 - セルビア・クロアチア・スロベニア王国が国号をユーゴスラビア王国に改称。

1932年 - イラクがイギリスの国連委任統治から独立。

1935年 - イタリアがエチオピアに侵攻。(第二次エチオピア戦争)

1942年 - ナチス・ドイツが開発していたV2ロケット、
3度目の挑戦で初の打ち上げ成功。

1949年 - ソ連が中華人民共和国を承認。

1952年 - イギリスが初の原爆実験、アメリカ・ソ連に続く第3の核保有国となる。

1962年 - マーキュリー8が打ち上げられる。

1964年 - 日本武道館開館。

1981年 - IRAが10名の餓死者を出したベルファストの刑務所における
ハンガー・ストライキの終結宣言。

1983年 - 三宅島噴火、溶岩流によって約400棟の住宅が埋没・焼失。

1985年 - スペースシャトル『アトランティス』が初飛行。

1988年 - アニメ「それいけ!アンパンマン」放映開始。

1990年 - 東西ドイツ統一。

1990年 - 中華人民共和国とシンガポールが国交樹立。

1990年 - フジテレビ系で22年間続いた音楽番組
「夜のヒットスタジオ」が最終回(1968年11月4日〜、放送回数1133回)

1993年 - ソマリア内戦でモガディシュの戦闘。(~10月4日)

1994年 - TBSが新社屋(ビックハット)に移転。

1995年 - O・J・シンプソンの元妻殺害容疑に陪審員全員一致で無罪表決。

2004年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が
オーストリア・ハンガリー帝国最後の皇帝カール1世ならびに
アンネ・カテリーネ・エメリッヒを列福。

2006年 - 日本テレビ系でアニメDEATH NOTEスタート。 

2006年 - テレビ東京系列でアニメD.Gray-man放送開始。












誕生日
1804年 - タウンゼント・ハリス、外交官(+ 1878年)

1884年 - 下村湖人、小説家(+ 1955年)

1897年 - ルイ・アラゴン、小説家・詩人・評論家(+ 1982年)

1899年 - 山口華楊、日本画家(+ 1984年)

1923年 - スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、指揮者

1928年 - 牟田悌三、俳優

1928年 - アルビン・トフラー、評論家

1936年 - スティーブ・ライヒ、作曲家

1940年 - 渡辺省三、漫画家

1941年 - 野田毅、政治家

1943年 - 山本耀司、ファッションデザイナー

1944年 - 末広真季子、タレント、政治家

1949年 - 武田広、ナレーター

1950年 - 宮川大助、漫才師

1952年 - 白竜、俳優

1953年 - 永射保、元プロ野球選手

1957年 - 大沢誉志幸、ミュージシャン
1957年 - 星野知子、女優
1957年 - 矢野健太郎、漫画家
1959年 - 田口ランディ、小説家
1959年 - 塩見啓一、中部日本放送アナウンサー
1965年 - 佐々木誠、元プロ野球選手(元阪神タイガース)
1969年 - 石田ゆり子、女優
1969年 - tetsu、ベーシスト(L'Arc〜en〜Ciel)
1969年 - グウェン・ステファニー、ボーカリスト(ノー・ダウト)
1971年 - ケヴィン・S・リチャードソン、歌手(元Backstreet Boys)
1972年 - 真木蔵人、俳優
1972年 - ケンタロウ、料理研究家・イラストレーター
1973年 - ネーブ・キャンベル、女優
1974年 - 日本橋ヨヲコ、漫画家
1974年 - アレックス・ラミレス、プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
1976年 - 森重卓、ベーシスト
1976年 - 森山栄治、俳優
1978年 - 阿智太郎、小説家
1978年 - 安美錦竜児、大相撲力士
1978年 - クラウディオ・ピサーロ、サッカー選手
1978年 - ジェラルド・アサモア、サッカー選手
1979年 - 蛯原友里、タレント、女優、モデル
1980年 - 八反安未果、歌手
1981年 - アンドレアス・イサクション、サッカー選手
1981年 - ズラタン・イブラヒモビッチ、サッカー選手
1983年 - 宮下真依、グラビアアイドル
1983年 - 鈴木裕樹、俳優(D-BOYS)
1983年 - 近藤直也、サッカー選手(柏レイソル)
1984年 - 小宮山尊信、サッカー選手(横浜F・マリノス)
1984年 - 谷澤達也、サッカー選手(柏レイソル)
1986年 - 北村友一、騎手
1988年 - 小西美希、ファッションモデル、女優
1988年 - 堂上静華、グラビアアイドル、女優













忌日
1226年 - アッシジのフランチェスコ - 宗教家、修道会フランシスコ会創始者

1643年 - パウル・ギュルダン、数学者(* 1577年)

1945年 - 杉村楚人冠、ジャーナリスト、随筆家(* 1872年)

1959年 - 栃木山守也、大相撲第27代横綱(* 1892年)

1962年 - 飯田蛇笏、俳人(* 1885年)

1967年 - マルコム・サージェント、指揮者(* 1895年)

1981年 - 西尾末広、政治家(* 1891年)

1999年 - 盛田昭夫、ソニー設立者(* 1921年)

2004年 - ジャネット・リー、女優(* 1927年)
















記念日・年中行事
Tag der deutschen Einheit(ドイツ統一の日、ドイツ)
1990年10月3日に東西ドイツが45年ぶりに統一され、
ドイツ連邦共和国が誕生したことに由来。


開天節(韓国)
韓国の4つの国慶日の一つで、韓国の建国記念日。
紀元前2333年、檀君王倹が平壌城に都を定め、
古朝鮮王国を建国したことに由来。



登山の日
10(と)、3(ざん)である事に由来。




posted by clinicayamamoto at 07:14| 東京 晴れ| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする